携帯(スマホ)史

自分のためのメモです。

1980年頃に生まれた人は、すでにインターネットやコンピュータがある環境下で思春期を迎えたことからデジタルネイティブといわれることがあります。

それ以前の人は、進行するデジタル社会へ参入したという意味でデジタルイミグラント。

私が本ブログでテーマにしているデジタルイミグラントです。

 

ここまでは余談。

 

本稿は、新ネイティブ。

新は「ネオ」などと、フランス語にして被せる向きがあります。

 

インターネット検索では、「ネオ・ネイティブ」がヒットします。

彼らは1996年以後に生まれた人で

96(キューロク)世代ともいわれます。

 

もう

 

次々と単語が発生してついていくのが大変。

 

このページの目的は、

 

このような社会の変化を、デジタル社会化に絞って、備忘録を兼ねて、おおまかな年表を作っておくことです。

 

というわけで

以下

メモです。

 

1985年携帯電話レンタル開始。

1992年NTTドコモ誕生

1996年着メロブーム

1997年ドコモ、メールサービス開始

1999年カメラ付き携帯発売

2000年AU誕生

2003年Vodafone誕生

2007年初代iPhone発売

2011年ラインリリース

 

むむむむ

 

今の中学生はラインより若い

 

取り急ぎ自家用年表でした。

 

 

 

 

 

 

 

2017年6月17日(土)ブログ、フェイスブック連動

私は、あちらこちらの無料ブログサービスを使いながら、その使い勝手を比較しているのです。

今回、このページの直前に「白日会展」の感想をアップしました。

同時に、「写真みたい」という観客の発言から「描写力」と「表現力」について考えたり、あべのハルカス近辺を徘徊した記録をアップしたりと、一度にいくつものブログの使い心地を試しました。

 

あくまでも、私のコンピュータ環境での話ですが

富士通FMV Celeron(R) Dual-Core CPU T3500 @2.1GHz RAM4.00GB

速い話が数年前の低スペックパソコン

ウインドウズ7をウインドウズ10に上げた、かなり老人をこき使うような使い方をしているコンピュータですが

これで比較した結果を時々書き込もうと考えているのです。

 

今回は

私の設定の問題だろうとは思うのですが・・・・

 

「白日会展を見ました」などの単なる街歩き記事はアメブロ

「描写力」と「表現力」特に写実と写真と表現力の関係は、別のアメブロ

写実を重視する白日会の絵の画像を私がネット上で発見できなかったこと、

日展院展、創画会という団体はインターネット上に画像を公開していること

など今後SNSで交流されることがますます重視されるだろうことなどについては、本「はてな」ブログにアップしました。

 

そんな中、本「はてな」ブログは

あくまでも私の設定ならという条件付きながら

最も簡単にフェイスブックと連携できました。

 

 

ここは

それだけのページです。

 

 

 

 

 

 

 

2017年6月16日(金)白日会展

先に書きましたように、デジタルイミグラントをテーマとする記事は、この、はてなブログに書きます。

 

さて、白日会ですが

いわゆる写実芸術の伝統的な団体展です。

 

写実絵画と書きたかったのですが、彫刻もあるから、写実芸術とややこしい書き方になりました。

さて、

中年以上女性がある絵を見て「写真やね」と言ったことから「描写力」と「表現力」の違いについて別のブログに書きました。

 

語調からこの女性は「この絵は、写真のように素晴らしい」と言いたいのだと感じたのです。

でも、写真が素晴らしいのなら写真を飾れば良いのであって、写真以上の何かを表現することが絵の良さじゃないでしょうか。

 

というわけで、「写真のように描く力」を「描写力」、写真のようであるかは別として、それ以上の「何か心に響くもの」を表現することが「表現力」として、この二つの違いについて、上の別のブログに書いたのです。

 

さて

 

写実表現は、誰にでもわかりやすい表現だと考えます。

何かモデルがあって、それとそっくりに描いたり作ったりすれば、「上手に描いたり作ったりされている」ということは、比較的わかりやすいことだと思うからです。

 

同じ写実的な表現と言っても、一つの会場に様々な表現がありました。

ここで指摘したのは、折角のこのような表現なら、SNSで交流できるような画像の配信をされたら良いと思うのです。

 

先にも書きましたが、

日展院展、創画会といった団体展は、画像をウェブ上に公開しています。

こんな絵がありました

こんな絵が好きです

などと言いたいとき、

それをウェブで発信したいとき

上の3団体は、画像を紹介することができるのです。

 

白日会は、日本の美術団体の中でも写実を重視する団体です。

優れた写実画家の諏訪敦氏が自身のウェブページで「~写実であるが故に一段低く見られ~」と書かれているように

この半世紀ほど

あるいはもう少し以前から

日本では「写実表現」はあまり重視されなかったのではないかと思います。

 

だからこそ

この団体こそ

優れた作品をウェブ上に公開して

簡単に話題にできるようされたい

 

 

希望するのです。

 

 

 

 

 

デジタルイミグラント

「デジタルイミグラント」というテーマで最初から書きます。

最初は、ブログです。

下は、ウィキペディアから引用(コピペ)です。

 

~ブログ (blog) は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblogウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった[1]。ブログの執筆者はブロガー (blogger)、ブログの個別記事はブログエントリーと呼ばれる。~

 

そして

~ブログの他にもSNS口コミサイトを総称してCGMと呼ぶこともある。~

(同上)

CGM」でひっかかりました。

~Consumer Generated Media(略称:CGM)、「消費者生成メディア」などと訳される。~

(同上、但し意味が通じる限りで途中の文言を省略しました)

 

大事なことは、こんなふうに何かついて書こうとすると次々と新しい言葉が見つかるということです。

 

閑話休題

 

生後、成長期にインターネットがあった世代をデジタルネイティブと呼ぶことにして、それ以前の世代をデジタルイミグラントと呼ぶことにしたそうです。

このような経緯を「デジタルイミグラント」というカテゴリで「ライブドアブログ」に書きました。

 

その後、使ってみた結果「デジタルイミグラント」というカテゴリの記事は、この「はてなブログ」に書くことにしました。

いわゆる引っ越しのようなものです。

 

私こと

アラサーでコンピュータに出会った典型的なデジタルイミグラントです。

「あんなことがしたい」「こんなことがしたい」~「でもできない」

こんな思いで数十年

「だんだんできるようになってきた」数十年です。

 

そんな意味で、色々と考えたことを書こうとしている、

それがこのページ、つまりデジタルイミグラント・テーマの記事なのです。

 

というわけで、引っ越しの辞ですが・・・・

 

ブログ比較について

ちょっと

書き加えます

 

私は、

ビッグローブの提供するブログからスタートしました。

単に

無料ホームページの残量が少なくなったから、代わりにこちらを使おうという程度の動機でした。

9年前でした。

主にマトリョーシカネタで書きました。

 

その後、1912年6月にアメブロを始めました。

12~3歳の少女に教えられて~

というのが動機でした。

 

その後、アメブロに関係した、少年逮捕を含む、非行問題が話題になりました。

 

若者と接するためには、デジタルメディアを学ばなければならないと思いました。

そして

ライブドアブログ、グーグルブロガー等、色々なブログに挑戦し

フェイスブックツイッターフリッカーフォト蔵スカイプ、ライン等々、

色々なデジタルメディアに手を出しました。

 

それぞれがそれぞれの使用目的があります。

それぞれを使いながら、それぞれの使い心地やや問題点を書こうと考えるようになりました。

いわゆるメタ認知でしょうか。

 

そんな話題を括るのが「デジタルイミグラント」というテーマなのです。

 

これを「ライブドア・ブログ」に書いていたのですが、今回、「デジタルイミグラント」というテーマで書きたい記事は、こちら、「はてなブログ」に書くことにしました。

 

 引っ越しの辞でした。

 

 

 

 

 

 

2017年3月10日BSニュース色々

BBCの学力問題については先に書きましたが、その他色々についてじっくり考えたら、考えている内に忘れてしまいそうな気がして、考えずに記録だけ残すことにします。

 

その1

エボラ出血熱でゴリラが犠牲になっているそうです。

ゴリラ保護のために血清を打とうという話でした。

 

その2

フランスの労働法規の話です。

ウェブ検索で詳報がみつかりませんので、うろ覚えでメモします。

労働者にフランス語を求めるという改革案のような話でした。

ユーロですから、国境付近で、例えば

ドイツに住んでフランスで働くというような働き方も可能です。

そこでフランス語能力を求めると、一部のドイツ人労働者が働けなくなるという発言がありました。

ユーロ圏は、このような問題があるのですね。

日本は、日本語が大きな障壁になっているわけです。

と、

思いました。

 

その3

ロシアとトルコが歩み寄っているというニュースでした。

後ろで流れている言語はロシア語でしたから、ロシアのニュースなのでしょうが・・・・

「ロシアとトルコの関係が良くなる」というようなプーチンの発言

「以前から良好だ」というエルドアンの発言・・・・を

聞いたような気がします。

 

取り急ぎ

備忘録として

3月10日のメモです。

 

 

 

2017年3月11日(土)イギリスの教育論争

今日は、考えることがたくさんありました。

BSニュースです。

順に、思い出しながら書きます。

まず、イギリスの教育です。

「より簡単な教科を履修させている」という批判。

このことが学力の低下につながるという批判なのでしょう。

「習得できない課題を出して無資格者を増やすより、簡単な課題であっても習得させて資格を与える方が国民の水準をあげることになる」

こんな議論でした。

 

日本の「ゆとり論争」と似ていますか。

少し違うかもしれませんが・・・・

 

BBC」「学力」などで関連記事を検索したのですが、私は、見つけることができませんでした。

代わりに見つけたのが下。

 

tech-progress.net

 

昭和63年、64年、平成元年、教務主任として当時の新教育課程にかかわった時

「今後生産部門で200万人程度が不要になる。代わりに情報部門で200万人程度の需要が生じる」と聞きました。

当時の課題は、

「国際化への対応」「情報化への対応」~等でした。

学校にコンピュータルームを作ろうという動きが始まった頃でした。

 

「ゆとり」も話題になっていました。

「おちこぼれ」も問題になりました。

「おちこぼし」という教師に厳しい言葉も生まれました。

 

「ちょっとちがうでしょ」

と感じました。

 

優秀な人材が必要で

優秀な人材を育てようとしたら

優秀に育つ人々と優秀になれなくて苦しむ人々が出てくるのは、

当然なのではないでしょうか。

 

いわゆる「知識詰め込み教育」を受けて

「知識詰め込み教育」に反発して育った私は、

人生の終わりに近づく昨今、若者の知識不足が気になって仕方がない。

 

閑話休題

 

高校も大学も進学率がアップしました。

今の大学院は、昔の大学程度でしょうか。

だったら、今の高校は、昔の中学校程度で良いのかもしれません。

 

英国教育に刺激された問題に戻ります。

 

「簡単な課題を習得させている」という「学力低下」を憂う意見。

「困難な課題を設定して不合格にするより良い」という反論。

「そのことによって学力が低下する」という再反論。

 

ゆとり論争より、こちらの方がわかりやすい。

 

こんな風に、自分の頭を整理しました。

 

まだまだ考えることはたくさんありますが、

今日は、この程度にしておきます。